雨の毎日に思うこと

 時にジトジトと、時に土砂降りのような雨の降る日に考えてみた。人は変われるのだろうかと。これはかなり前に愛ちゃんに聞かれたこと。僕の答えはいつも決まって“変われるよ”。でも本当にそうなのだろうか?答えは分からないけど、分かっていることは僕らの体は、心は変わろうと思おうが思わなかろうが常に変化しているということ。変化していく自分がどうありたいのか。その思いがあれば、思いから始まる行動があれば良いのだと最近おもう。
 ウジウジする季節、まずは行動しよう。結果は後から付いてくる。3日もたつと畑は全く違う表情をみせる。心配などしている間はないのだ。


福岡正信著「自然農法」より 
「農業は自然に即する営みである。そのためには、一本の稲を見つめ、稲の語る言葉を聴かねばならない。稲の言うことがわかれば、稲の気持ちに合わせて育てていけばよい(本当は「育てる」のではなく。「育つ」のである。自然に「仕える」だけである)。念のため注意しておくが、稲を「見つめる」とか、「本体を凝視する」とか言っても、それは決して、稲を自分と違う「対象」として「観察」したり「思考」したりすることではない。言葉では非常に表現しがたいが、いわば「あなたが稲になる」ことが肝要であり、見つめる自分がなくなればよい。これが「見て見ず、見ずして知る」と言うことである。こう言われても、何がなんだかちっともわからないという人は、一生懸命脇目もふらず、稲の世話に打ち込めばよい。無心に仕事が出来るならばそれで十分である。」
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