放射能の現状。そして分断される関係、再構築される関係

前回の更新からずいぶんと時間がたってしまいました。書きたいことはいろいろあるのに、書こうとすると気分が重たくなる。そんな経験ないですか?

書きたいと思ってなかなか書けなかったテーマ。それは放射能の現状、そして人と人との関係の分断について。

まずは放射能の現状について。

 僕らは基本的に自給的な生活ですので、遠くから食材を仕入れることなど言外ですし、すべての食材を一つ一つ調べるなどまず考えられません。かといって、どの程度の被爆になるのか理解せずには子供の将来にたいする責任を果たせないと考えて測定機関での農園の野菜、土壌の放射線測定や、線量計での空間線量の測定をし、僕らの自給的な生活でどの程度の外部、内部被爆になるのかをおおよそのレベルで推定した結果、この地でおおよそ今までどおりの生活して行くことを家族で決めました。
 もちろん僕らの野菜を定期便で食べて頂くかたがたも僕らの家族として測定の結果を伝えたのですが、ありがたいことに一人も定期便をやめられることなくつづけていただいています。 本当に感謝です。

 同時に、出来るだけ子供たちが遊ぶところでは極力放射能の影響を減らすことを要望しています。おかげさまでさまざまな方々の努力によって、すこしづつ除染が進んでいます。目指すところまでは遠いのですが、今の、そして将来の子供たちのためにもしっかりと行動して行きたいと思います。 


 放射能によって汚染された広大な地域。その地域の中で汚染に濃淡があり、さらに同じ地域に住んでいてもその捕らえ方に濃淡があります。放射能の問題を真剣に考えている人でも、ある人は一切の影響を受けたくないと言ってたとえば汚染地域の食べ物を拒否し、ある人はその汚染の状況を認識してどの程度なら受け入れるかを決めています。
 大切な友人の中には、放射能の話題には一切触れたくないと思っている人もいますし、数十万もする測定器を購入している人もいます。
 誰が正しい、間違っているというわけではないのですが、その立場の違いでお互いを敬遠するようになってしまうのならばとても残念なことです。その両者に、たとえ原発を一国も早く止めたいと共通の思いがあったとしても、その間に横たわる溝は果てしなく大きいのです。放置されて広がる溝、時間とともに埋まる溝、お互いが努力して埋めて行く溝。まったく、余計なことです。

 放射能の問題は、近い思想をもって生活してきた仲間との関係をいとも簡単に分断してしまいます。修復できない分断された関係もあるば、違う形で発展して行く関係もある。だからこそ、簡単に放射線量が高いからどこかの住人は避難しろといったり、どこそこの、何々の食材を食べないと僕は決して言わないようにしようと思います。自分日々の生活での被爆量を理解すれば、たまに起きる外乱など気にするほうが病に近づくはずです。それを口にしたところで、得るものよりも失うものが多いのは確実です。
 僕は決して黙って現状を容認しようなどと考えていません。もっともっと声を上げるべきだと思います。ただしその相手が、市であり、県であり、国であり、僕らの代表者の議員であり、そして原発を推進、容認する電力会社をはじめとする産業界であったり。

 放射能汚染の問題は、物理的な問題ももちろんあるけれども、それ以上に人と人との関係の再構築を求められています。国に、東電に、原発などに僕らの生き方を左右されないぞ、簡単に分断を起こさせないぞ、と。
 まだ奥歯になにかが挟まったような文章ですね。今はまだこの辺で。


 胸のつかえがすこし取れました。これでブログ更新の頻度が上げられるでしょうか?



 

 

 
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